2025年10月4日(土)

今日、もはや私は生きる価値に値しないのではと感じました。まるで私たちが苦痛に耐えるためだけに存在しているかのように、私たちの存在そのものの意味が分からなくなりました。

毎日が新たな罰を受けているように感じられ、私たちが決して選んだわけでもないのに、生き抜くことを強いられている苦しみの連続でもあるのです。

その午後、私は家に戻らねばならず、ようやく小さな、古いバスを見つけ帰宅したのですが、それが唯一の移動手段でもありました。

しかしそれは普通のバスではありませんでした。四方が開け放たれ、半分壊れていて、晒されたそのバスの車体は、見た瞬間から乗るのをためらうぐらい怖いと思いました。

それでも他に選択肢はありませんでした。とても疲れていたので早く家に帰りたいと心から願っていたので、安全は保証されなくとも居場所であり安らぎが残るあの脆い家へ帰りたかったのです。

私は乗り込み、開いたドアの近くに座りましたが心臓はドキドキで、呼吸を整えようとしました。バスは壊れた道をガタガタと揺れながら進み、一つ一つの段差が、いつ転落してもおかしくないという感覚でいました。

ドアも、ガードもありませんでした。あるのは風と埃、そして投げ出されたり、上から何かが落ちてくる恐怖だけがありました。

座席を強く握りしめ、手が震え、思いが駆け巡りました。人生がこんな形で終わるなんてありえるのか?これまで生き延びてきたのに、これで終わりなのかと、安全など全くないこの壊れたバスから落下するなんてありえないと、強く思いました

見渡せば、私と同じような表情の人ばかりでした。沈黙し、疲れ果て、忍び寄る恐怖に満ちていたのです。ある女性は、まるでその雰囲気から自分たちを守ろうとするかのように、子どもを胸に強く抱きしめていました。ある男性は道路をじっと見つめ、その目は疲れに満ちていました。通り過ぎていく道が、まるで彼の人生の一部を削り取っていくかのように感じました。

そして私は問い続けました。私たちの尊厳は一体どこにあるの?そして人間としての権利はどこにあるの?安全に家に帰ることを求めるのは、そんなに無理なお願いなのでしょうか?

一瞬でもいいから死を恐れずに車内に座ることさえ、叶わないのでしょうか?

なぜ最も基本的な人権さえ、もはや手が届かない夢になってしまったのでしょうか?

私は深い悲しみで一杯になりました。恐怖が日常化してしまったことはなんと残酷なことでしょう。家に帰ることさえも戦場の中で生き延びるような感覚なのです。

私たちはいつも上空からドローンに見張られた土地に住み、一歩一歩が、本当に最後の一歩となり得る可能性が十分にあるのです。私の乗ったバスはただひたすらに動き続けていましたが、無事で家にたどり着きたいと心に願うばかりでした

ようやく家に辿り着いた時、恐怖と疲労で私の体は震えていました。

しかしそれ以上に、私は心の底からの痛みを感じたのです。それは、安全も保障されず、尊厳もなく、ただ平穏に生きる権利を奪われたままに生きることの辛さなのでした。

生きることそのものが危険の根源であるとは、なんと悲しい事でしょうか…

そして帰路に向かうときでさえ、生きるか死ぬかの瀬戸際にいるということは、なんと残酷なことかと思うのです。


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