2025年9月3日(水)

胸いっぱいに広がる奇妙な感覚とともに目が覚めました。心の片隅にひそかに潜むほんのわずかな喜びと、そのすべてをのみ込んでしまう海のように広がる深い悲しみで、自分でも理解できない感情が混ざり合い、私はまるで、失われた道を当てもなくさまよう人のように感じました。どこへ行けばいいのかわからず、ただ息をして、もう一日生き延びるためだけに一生懸命にしがみついているように感じていました。

家と夢を失って逃げてきた人々にとってのひとつの行き場のようになってしまった避難所に私はいるのです。そこで私は、ボランティアがどこか遠くに感じられるこの荒んだ環境の中でも互いを助け合う奉仕活動をしたいと思いました。

座って避難所の人々を見守っていると、ふと目に飛び込んできた光景が、私の心に深く残りました。それは、目の前で子どもたちがまるで自分たちの周りの世界が崩れ落ちたことなど知らないかのように遊んでいました。裸足で砂の上を走り回り、その笑い声は高く響き、陰鬱なテント群の静けさを包み込み、まるで、悲劇に疲れ果てたこの地に降り注ぐ、天上の音楽のように聞こえました。

子どもたちは小さな石を手渡し合い、それをまるでかけがえのない宝物のように扱っていました。別の子どもたちは指で地面に適当に線を描いて、それをまるで最高傑作であるかのように喜んで見つめていました。砂で城を作る子どももいて、風が吹けばすぐに壊れてしまうような儚いものでしたが、彼らの目にはそれが壮大な都市に映っていたのだと思います。子どもたちは互いを見つめ合い、心から朗らかに笑い声をあげていたのです。

しかし、よく目を凝らして見ると、その笑い声の奥にもっと深いものが感じられました。これらの子どもたちは、もう何ヶ月も学校に行ってないのです。色とりどりのバッグを背負うこともなく、学校のベルを聞くこともなく、教科書に文字を書くこともないのです。ペンは全く使わずにいて、ノートは書くことも無く、開くことさえないのです。彼らは、戦争前に遊んでいたおもちゃも、広い遊び場も無く知らないのです。その代わりに、砂が彼らの運動場となり、小石が遊び道具となり、現実から逃れる唯一の方法は自分たちの声だけなのです。

私は彼らの小さな足に気づきました。靴もなく裸足で歩き続けたせいかひび割れ、擦り切れた服は暑さからも寒さからも彼らを守れていないと思います。日焼けした顔——それでも、その瞳は輝いていました。まるで、「私たちはまだ夢を持ち続けている」と語りかけているように見えました。奪われてしまった幼少期ですが、決して忘れ去られることの無いように力強く訴えている瞳でした。

それぞれの笑い声は、喜びとは全く反対の思いを抱えているように思います。近くにいる者だけがそれを聞き取ることができるような、静かな叫びなのです。家、温もり、安全といった最も基本的な生きるための権利が奪われてしまったことを訴える泣き声なのです。その中で走り回っていた少年が、ふと足を止め、失くした何かを探すように周囲を見渡していました。そしてまた遊びに戻っていきました。彼が失ったものは何だったのだろうかと私は思いました。
お母さん、本、それとも子どもとして過ごす期間そのものだったのでしょうか?

その瞬間、私は小さな奇跡を目撃していると感じたのです。その子どもたちは、喜びはお金では買えないこと、そして生き延びようとする試みだとしても、笑いは涙よりも強いことがあることを私たちに教えてくれたのだと思います。それでもなお、一つの疑問が私を苦しめました。インクで文字を書く代わりに砂で遊ぶのは、いったいいつまで続くのでしょうか? 彼らの夢は、テントの壁に閉じ込められたまま、いつまで先延ばしにされるのでしょうか?

それは、人生の残酷さと子ども時代の美しさ、その両方を併せ持った光景でした。廃墟のただ中でも笑う子どもたち。現実の世界が彼らのすべてを奪ってしまったにもかかわらず、何もないところから自分たちだけの世界をつくり出していく子どもたち。


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