2025年7月4日(金)

私はいつもの仲間たちと一緒に仕事場へ向かいました。今日も、支援を待つ人々のもとで、日々の活動を行うためです。私は、忙しく水を配りながら、周りの人々の顔を見て、苦しみの中にもわずかな笑顔を見つけようとしました。でも、そこでは、悲しみと喜び、疲労と充実感が入り混じった、複雑な思いが生まれました。

夢中で仕事をしていたら、小さな子どもが私のそばに近づいてきました。荒廃の中にあっても、純粋な瞳がきらきらと輝いていました。私はその少女の名前がアマルだと知っていたので、「アマル、今、私の希望よ。」ってそっと微笑みながら囁きました。

アマルは小さな手で、小さなお皿を持っていました。私は優しく聞いてみました。「そのお皿、どこに持っていくの?」彼女は小さな繊細な声で、まだ4歳にもならない小さな声は、「ごはんをもらいに行くの。」と言いました。

私は一瞬、息をのみました。こんなに小さな子が、一人で毎日の食べ物を求めに行かなくてはならないなんて。私はもう一度、冷静に尋ねました。「まだ小さいのに…どうして行くの?お父さんは?」

彼女は、純粋な悲しみに満ちた目で私を見つめて、「お父さんは天国に行ったの。」と静かに答えました。

その瞬間、私は涙を抑えられませんでした。私はその小さな少女をぎゅっと抱きしめ、自分のために、パレスチナの子どもたちのために、そして起きているすべてのことのために泣きました。子どもとしての無邪気さ、また奪われてしまった子ども時代のために、私は、本当に悲しく思い泣きました。混乱している世界の中で、小さなお皿を手に、一人で食べ物を求め歩く少女のその小さな肩には、厳しい現実の世界の辛さがのしかかっていました。

私はその場で、現実の苦しみが胸にのしかかるのを感じながら彼女と一緒に立ち止まりました。毎日、私たちは悲劇を目の当たりにしています。しかし、こんな純粋な子どもに出会うたび、心は張り裂けそうになります。彼女の目には、この世界のすべての苦しみと、私たちの失われた希望が映っていました。同時に、彼女の沈黙の中に、前に進み続けようとする小さな力の中に、そして生き抜こうとする決意の中に希望がまだ存在していることを確信しました。

この小さな少女が踏む一歩一歩が、命の叫びであり、周りのすべての人へのメッセージだということを、たとえ最も過酷な状況の中でも、ほんの小さな瞬間であっても、私たちには生きる権利があり、希望を持つ権利があるのだ、と私は気づきました。


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