2025年6月29日(日)

長く過酷な一日を終えてテントへ戻る途中、私は体も心も疲れ果てていました。体の疲れよりも、むしろ心の疲れ、頭の中の疲労の方が強くのしかかっていたのです。
私は車の荷台に揺られていましたが、その道のりはとても危険で、周囲には何の防御もなく、風にさらされ、穴だらけの道路では小さな段差ひとつで振り落とされそうで、大けがをする恐れさえありました。前を向いて道路を見つめようとしながらも、視線はしばしば横へとそれてしまいました。そこには散らばるテント、想像を超える困難の中で生き抜こうとする人々、壊れ果てた家々、荒れた大地、そして遠くにかすかに輝く希望の光が見えていました。

ふと、私の目に飛び込んできた光景が、私の心に強く残りました。まだほんの幼さが残る小さな子どもが、大きな薪の束を小さな背中に背負って歩いていたのです。その瞬間、私の心は止まり、こんな考えが一瞬頭をよぎりました。――もしかしたら、それは学校のカバンで、今まさに本を抱えて学びの一日を始めるために学校へ向かっているのではないか、と。私は心の中でそっと微笑みました。まるで時が巻き戻され、子ども時代の最も素朴で無垢な光景を目の前に見せられたかのように思えたのです。

しかし現実は、私の目にも心にも耐えがたいほど残酷なものでした。彼が背負っていたのは学校のカバンではなく、遊びや学びに向かうためのものでもありませんでした。
それは薪――おそらく家族が一日を生き延びるための、ただ一つの糧なのです。まるで彼の子ども時代が、目の前で消えていくかのように私の胸はとても強く痛みました。
まだ幼さの中にいるはずの子どもが、自分の力をはるかに超えた重荷を背負い、本来なら背負う必要のない責任を課されているのです。まるで彼の「子どもらしさ」が、日ごとに現実の厳しさへと引き換えられてしまっているかのようでした。

私はしばらく息をのんで、その子を見つめました。小さな足取りは重く、疲れ切った体で木の重みに背を曲げ、幼い目には疲労と不安、そして私には理解しきれないほどの強さが宿っていました。熱く乾いた大地を踏みしめる小さな足、重い薪を必死に握りしめる細い手――。その姿を見ながら、胸が締めつけらました。「本来なら笑ったり、遊んだり、無邪気な思い出を作っているはずの子どもが、家族のために薪を集める毎日を送っているのだ」と思うと本当に悲しくなりました。

その光景はあまりにも辛く、思わず涙が込み上げそうになりました。それは怒りと悲しみが入り混じり喉の奥がつまるような感覚に襲われました。この子がどれほど世界から不公平に扱われているのか、戦闘や過酷な現実が、ただ「子どもとして生きる」という当たり前の権利さえ奪ってしまったことに気づきました。彼が踏み出す一歩ごとに、その無邪気さが少しずつ失われ、笑顔が奪われ、二度と取り戻せない子ども時代のかけらが削り取られていくように思えました。

その子がゆっくりと遠くへ消えていくのを見ながら、私は心のどこかでこの現実を受け入れまいとしていました。彼が薪を背負って歩くその一秒ごとに、子どもらしい時間が奪われていく――そう思うと胸が締めつけられました。助けなければという人間としての責任を感じながらも、私にできるのはただ見守り、彼が背負わされているあまりに大きなこの不正義を思い悩むことだけでした。

その瞬間は、ただの一場面ではありませんでした。そこには人生の厳しさ、子どもたちが強いられる犠牲、そして想像を絶する困難に立ち向かう小さな心の勇気が凝縮されています。胸一杯の深い悲しみと同時に、私はその子の忍耐と強さに、心からの敬意を感じました。ときに大人でさえ耐えられないこの事実を、こどもが受け止め、耐え抜く力を持っているのです。


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