テント生活も今日で14日目を迎えました。
14日間が何年もの様に感じます。
この14日間は私が望んだ人生ではありません。
どうすることも出来ず、強いられている毎日でした。
自分で選んだわけでもなく、押し付けられた14日間の毎日でした・・・。
暑く、長い夜には、生きていく上に必要な忍耐が求められたのです。
ここでくらす毎日は新たな試練であり、一瞬一瞬が人間としての尊厳の意味を考えさせられ、周囲の全てが尊厳をはく奪されている中で、人間としてあり続けることの意味が問われているのです。
この日、私たちは、やっと「流し台」と呼べるものを手に入れました。しかし現実には流し台とは、程遠いものでしたが、私たちにとってはそれを得たという達成感がありました。
私たちは空の樽を手に入れ、それを持って強い日差しの中で長い列に並びました。そして、やっと水を手に入れることができました。その後、安定するように工夫をして置いて、小さな蛇口をつけたのです。そこから出てきたのは、ほんの少しの水ですが、まるで、命のしずくのように思えました。
注ぎ口の下には、一滴も無駄にしないようにバケツを置きました。少しも無駄にすることは出来ません。私達はその水が、テントの周囲に植えた数本の木々を守るためにも必要だと思いました。それは、干乾びた土から希望を育てるという教育の現場からの声でもあります。
こちらの暮らしで学んだのは、かつて当たり前だと思っていた小さな一つひとつのことが、実はかけがえのない大きな恵みだったということです。
回りを見渡すと、今、自分が家としているこの狭い空間、私の空とシェルターとなった破れたテント、裸足で岩の間を駆け回る子どもたち、疲れ切った笑顔の奥で涙を流すお母さんたち。それを見て私は自問するのです。
ここはどこ?こうなる前の私は、誰なの?どうしてこのような痛みの世界の入ってしまったのかしら?それでも私は、どんなことあっても努力し続けるのです。
顔に落ちた一滴の水に、乾いた土の中でも伸びようとする一本の木が、
一人静かに息をするとき、私はそっと希望を重ねるようにしています。
私はまだここにいます。そして生きています。それだけで、十分なことです。そうやって今日を乗り越えることができるのです。そして夢も持ち続けます。
