気持ちの良い午後、長く続いた暗い息苦しい日々を経て、ついに私の心の中に何か違うものが動き始めたのを感じました。
この数日はとても生きづらい毎日でした。胸に押しつぶされるような重みで、ほとんど息もできませんでした。周囲の全てが暗く見え、私たちの生活に何が起きているのか、理解できませんでした。深い鬱に囚われ、疲労と混乱の間で迷い、この悲しみはいつ終わるのだろうかとただ思うばかりでした。
しかし今日、ささやかな優しい変化を感じたのです。それはとても素直に私の心に響いたのです。それは、大好きな友人からの電話でした。彼女の声は、静まり返った悲しみの空気を一変するようなそよ風のように聞こえました。「お茶を飲みましょうよ。久しぶりにね」と彼女は温かい声で話したのです。
その言葉だけで私は少し気持ちが軽くなりました。人生には見つけることができる小さな喜びがまだ残っているという事を思い出させてくれました。
私は即座にそれを受け入れて、身支度を整えて彼女に会いにいきました。今日は少し気持ちが楽になるかもしれないという、微かな希望を胸に抱きながら向かったのです。
私が到着すると、彼女はこれまで見たことの無いような笑顔で迎えてくれました。
私たちは一緒に座り、語り合い、思い出を分かち合い、今までの疲れを慰め合いました。少しだけの笑いと、ほとんどはため息で、言葉は自然と流れ出ました。懐かしい思い出と、先の見えない日々のことについて話しました。
それから彼女は砂糖が入った紅茶の小さなカップと、素朴なビスケットを数枚持ってきてくれました。それはごく平凡な光景だったのに、まるでお祝いの日のようでした。砂糖入りの紅茶を飲むことさえ、叶わぬ夢のように思っていましたが、今日、それが現実となりました。
以前はありふれたことが、これほどまでに貴重に感じられるのだと気づきながら、私たちは顔を見合わせて微笑みました。
ほんの一瞬なのですが、とても幸せを感じました。
長く呼吸していなかった後のように、魂が再び息を吹き返すのを感じました。
友人と座り、語り、笑い、お茶を飲むことなど、今や戦いの只喜び中では奇跡なのです。
あの小さな集い、あの静かなひとときは、私たちにもまだあることを思い出させてくれました。どんな廃墟の中でも、痛みの中でも、私たちに喜びがあることを感じさせてくれました。どんなことがあっても、人生には生きる価値があることを教えてくれたと思いました。
