今朝、私は車の椅子に座り、静かに道路を見つめていたら、車が動き出して目的地まで移動しました。そこまでの時間は重く感じて、空は灰色で、まるで私たちの悲しみを分かち合ってくれているかのようでした。私はぼんやりと空を見つめ、元気になるような感情を探したのですが、無力感以外の何も感じられませんでした。無力感で私の心は一杯で、私の魂を窒息させるような勢いでした。
胸の内の気持ちを言葉にするのはとても難しかったのです。何もかもが出来ないことばかりです。自分の感情すら言葉にできないほど、思い悩み、車窓越しに通り過ぎる人々の顔を眺めていました。一人ひとりが、それぞれの痛みを静かに背負っているのです。
そして、私は胸が張り裂けるような光景を目にし、涙が自然とこぼれ落ちました。
ある若者に目が留まりました。彼は青春の真っ盛りであるにもかかわらず、彼の顔には百年の苦しみを生き抜いたかのような印が刻まれていました。彼は四つん這いで這っていたのです。足を失ったのではなく、衰弱した体がもはや彼を支えきれずにいたのです。足は確かにありましたが、飢えと栄養の欠乏から、彼は力が全く出てていなかったのです。顔色は青白く、薄い皮膚の下に骨が浮き出ていて深刻な栄養失調の兆候が明らかによくわかりました。
夢を見て、楽しく笑い、自由に生きているはずの若者が、今や地面を這うことを強いられているのです。尊厳を持って移動するための車椅子さえ持てないとは。これはシンプルに人権上の問題です。彼をその姿で見たとき、私の心の奥底で何かが壊れました。
私は問い続けました。なぜ私たち若者はこのような生き方を強いられるのでしょうか?なぜ、私たちには人間としての最も基本的な権利さえも否定されてしまうのでしょうか?
戦争は私たちからすべてを奪いました。子どもたちから幼さを、若者から夢を、そして私たちの心から平穏を奪ったのです。
私たちに残されたのは、希望の断片、尊厳の断片、生き続けるためにしがみつく人生のかけらなのです。
私は一瞬目を閉じました。今見た光景を心の中で整理しようとしたのですが、心の痛みは消えませんでした。あのたった一つの光景を見ただけで、一日中悲しみに沈み、終わりのない疑問に悩まされました。 この無力感を悲しみに溺れるこの土地で、私はいつまで生き続けなければならないのでしょうか?
