希望が、私たちのテントの扉を開けました。
私たちは人生で最も素晴らしい日、家へ帰る日のために準備していました。早く目を覚まし、顔には期待の輝きを放っていました。
疲れが顔に刻まれているのに笑顔が少しずつほころび、「今日……私たちは家に帰ります 今日、こうしてまた生きていくのよ」と母はそっとつぶやきました。少ない荷物を運ぶためにトラックを呼びました。車を待っている間、一分一分が前の一分よりも長く感じられました。
やがてエンジンの音が聞こえ、私たちの胸は躍りました。急いで箱を積み込む小さな一つひとつの荷物に、取り残してきた人生の断片が詰まっているようです。
トラックが動き出すと、私は窓際に座り、道を見つめました。避難の先から、私を家へ導く道路です。しかし、私たちの地区に入った瞬間、私は凍りつきました。自分の通りであるとは、認識できませんでした。わかったことは、すべて失われてしまったという事です。かつて命があふれていた家々は、今や瓦礫の山となってしまいました。朝陽を受けていた窓は、今やただの穴となってしまいました。石も、灰も、割れたガラスもまるで核爆弾が、この場所を地図から消し去ったかのような惨状がありました。
胸が苦しくなり、息が止まりそうでした。手は震え、「これ…本当に私の通りなの?」と私はそっとつぶやきました。私の子ども時代の路地は、もうそこにはありませんでした。
すべてが変わってしまったのですが、この場所への愛しい思いだけは変わらなかったのです。そして不思議なことに、破壊の中にあっても、胸は満たされていました。悲しみは、もちろん一杯ありましたが、同時に喜びで溢れていました。なぜなら、私は家に帰ってきたからです。廃墟の中でも、それは私の居場所でした。周りを見ると、近所の人たちが、家の瓦礫から顔を出してくれしました。私たちは涙と笑顔で交わし、同じ夢を持って生き延びた者として抱き合いました。何か月も呼吸できなかった後に、ようやく息ができた思いでした。空気は埃で重かったけれど、同時に“ここの土地の者として”という温もりを感じられたのです。その日、家というのは、ただの壁や扉でできているのではなく、人々と思い出を大切に、そして再建しようとする強い意志でできているのだと私は気づいたのです。
その夕方、私たちは瓦礫の中で集まって、座りお茶を飲みながら、笑顔で話をして、破壊された通りに温もりを取り戻そうと、互いに慰め合ったのでした。
その夜、私はそれまでの夜とは違いました。冷たいテントの床ではなく、自分の家の空の下で眠りました。
家の半分は失われていたけれど、私の心は再び満たされていました。
何か月ぶりかで、息をすることができ、そして、生そのものが私に戻ってきたように感じられたのです。
