その日は、4か月もの間、私たちがずっと待ち続けてきた日、夢に見てきた日でした。
4か月もの間、太陽の暑さからも夜の寒さにも耐えたテントでの生活でした。
4か月もの間、砂埃と恐怖と、先の見えない時間を過ごしました。
4か月もの間、以前、住んでいた家の扉のきしむ音までしっかりと覚えていて、“家の匂い”がする壁さえを懐かしく思っていました。
その朝、「イスラエル軍がこの地域から撤退したらしい…ここが人道区域になった!」という噂がキャンプの中に広がりました。最初は静かに、でもそれが徐々に大きくなって、興奮と信じられないという気持ちで一杯になりました。終わりのない闇のあとに太陽が初めて昇ったような感じで、周りの空気が一変しました。
私たちの“避難所”でありながら“牢獄”でもあった、このか弱い布切れのテントを見つめ心の中で「やっと…この悲しみのテントの下で過ごす最後の日になった。」とつぶやきました。私たちの顔が喜びで輝き始めたのです。女性たちは、わずかな持ち物を急いでまとめ、子どもたちは恐れなく裸足で砂の上を駆け回り、男たちは黙って立ち尽くし、目には涙が光っていました。私たちは家にやっと帰れるのです。でも同時に心の底には、家はまだ残っているのだろうか?それとも瓦礫になってしまったのだろうか?と考えるのも怖い質問が自然と出てきました。父は近所の人たち数人と一緒に先に家の様子を見に行きました。
私たちは待っていたのですが、その時の一分一分が一時間のように感じられ、鼓動一つひとつがどんどん強くなっていきました。
そして、遠くから父がこちらへ歩いてくるのが見えました。そして疲れた顔にも、笑みがありました。「家は…まだ立っているぞ!」と父はそう叫びました。その瞬間を、私は一生忘れません。胸の奥に喜びがあふれ、立っているのもやっとでした。私は泣きながら、笑いながら走り寄りました。周りからは、歓声と拍手が起こり、人々はその場にひざまずき、知らない物同士が抱き合って喜びました。
それは、すべてを失った者にしか分からない格別な幸福感です。
ようやく私たちの地区に着いたとき、そこはもう、自分たちが知っている景色とは全く異なっていました。傷ついた通り、でもどこか懐かしく、この場所の“匂い”は、まだ私たちのことを覚えていてくれたように思え一つひとつの石が、「彼らは帰ってきた」とこうささやいているような気がしました。テントで眠るたびに、夢を見ていたあの扉の前に立ち、手を伸ばして、扉の木の表面をそっとまるで神聖なものに触れているかのように、優しくなでました。
家の中は、部屋じゅうに埃が積もり、壁にはひびが入っていました。
それでも天井はしっかりと私たちを守るように立っていたので、その瞬間、私たちは、まだ生き延びることができると感じました。あの寒い夜も、あの暑さも、あの恐怖も、すべてが終わったのです。家族の方を見ると、母は泣きながら古い写真についた埃を拭き、きょうだいたちは奪われていた子ども時代を取り戻すかのように家の中を笑いながら楽しそうに走り回っていました。
そして父は、静かに隅に座り、感謝のまなざしをしていました。
その日、家はただの壁や屋根ではなく、私たちの尊厳、私たちの平和、そして “世界の中のたった一つの大切な居場所”であり、それを取り戻すことが出来たと思えました。
