私は長い一日の仕事で疲れ切り、歩くたびに体が言うことをきかないかのように重く感じながらも、心はわずかでも安らぎを求めていました。
テントがあたり一面に広がり、通り沿いにずらりと並んでいます。それは、守ってくれる壁であると同時に、ここでの命のはかなさを思い知らせる存在でもありました。
どの角にも、どの顔にも、悲しみが重い毛布のように覆いかぶさり、痛みを常に伴っているかのようでした。
それでも、人々は生き続けます―毎日が耐えるための闘いであり、この容赦ない世界の中で生き延びるための闘いなのです。
歩きながら、私はある光景に目を奪われました。忘れることが出来ず、言葉でも簡単には伝えられない場面に立ち合いました。子どもたちのグループが、私がまだ幼いころに大好きだった、素朴な古い遊びをしていたのです。私は通りの真ん中で立ち止まり、釘付けになって彼らの一挙一動、一つひとつの笑い、無邪気な顔を見つめていました。子どもたちは走り、跳び、つまずき、笑い―まるでその一瞬一瞬の喜びが、厳しい日常に対する静かな反抗であるかのようでした。
彼らの遊びは、ただの一時的な楽しみ以上のものでした―それは静かな「抵抗」の行為でした。テントに囲まれ、暑さや寒さ、煙や砂ぼこりの中にあっても、彼らは自分たちのための一瞬の幸福を生み出していました。
その一ときの喜びは、ほんの少しの間でも痛みを忘れさせてくれるものでした。子どもたちは笑い、駆け回り、遊びの中でお互い絡み合いながら、世界にこう伝えているかのようでした。「どんなに厳しい日々でも、ここには楽しいことがあるよ」と
彼らを見ながら、私は久しぶりに胸の奥から深い感情が、湧き上がるのを感じました。この瞬間の美しさは、子どもたちの純粋さだけにあるのではなく、その勇気にもあると気づきました。恐怖や貧しさの中でも喜びを見つけ、純粋な笑いで日々を少しでも明るくする力があるのです。一つひとつの笑い、一つひとつの小さな動きが、この厳しい世界に希望の光をそっと添えるのです。「人生は、これから続きます。私たち子どもたちも大切な一部なのです」と静かに語りかけているかのようでした。
彼らを囲むテントは、孤立と恐怖の壁のようでしたが、それでも子どもたちの目には光がありました―悲しみでさえ消せない光です。体は小さく、もろいけれど、心は強く、静かに「立ち向かう力」のメッセージを伝えているようでした。それは、だれも奪うことのできない尊い子ども時代であり、痛みの中からも笑顔が生まれるという証でもありました。
その瞬間、私は人生について深い教えを学んだことに気がつきました。
本当の美しさは、完璧な場所や快適な環境にはあるのではなく、純粋な心にあり、どんな状況でも喜びを生み出せる心にあり、最も困難な日々さえも瞬間で笑顔に変えることにあるということです。ここにいる子どもたちは、ただの子どもではありません。小さな英雄なのです。彼らは毎日、笑顔という奇跡を起こし、私たちに教えてくれます。幸福は贅沢ではなく力であり、希望はどんな過酷な状況の中にも生まれるのだということです。
