2025年9月7日(日)

目覚めた瞬間、体はとても重く、心も疲れ切っていて、起き上がれませんでした。怠けではなく、休む暇もなく続く果てしない日々が、私の全身にずっしりとのしかかっていたのです。破れたテントの屋根の隙間から、朝の光が灼熱の太陽となって差し込み、容赦なく私を照らしました。その光りは、まるで「今日もまた、耐えなければならない一日が始まる」ことを告げるかのようでした。

あと少しだけ横になっていたいと思ったのですが、待っている仕事の山があると思うと休むことが出来ませんでした。やるべきことは山ほどあり、私に代わる人はいません。無理やり立ち上がりました。その朝も、いつも通りパンの生地を用意することにしました。しかし今回は、涙が小麦粉に混ざってしまいました。震える手でこねながら、汗と涙が一つになって流れました。それは悲しみだけではなく、テントの中の耐えがたい熱さのせいでもありました。

日中のテントは、まるで私たちを焼き尽くすかのような釜と化します。空気は息を詰まらせ、布の壁は熱を閉じ込め、呼吸するたびに体中に重くのしかかるようです。それでも私は手を動かしました——やらなければ、生き残るための仕事が進まないからです。震える手、汗で滑る指、熱に押しつぶされそうな体。それでも、一つひとつの動作が、静かに、しかし力強く叫んでいました——「私は、絶対にあきらめない」と。

生地をこね終えると、私はそれを丁寧に小さく分け、焼く準備をしました。ガスもなければ、パンを焼く道具もありません。あるのは、決意と信仰だけです。私は妹をキャンプのパン焼きの女性のもとへ行かせました。彼女は拾い集めた木々を使い、焚き火の上でパンを焼いています。毎日、私たちは火を起こし、目を焼くような濃い煙を吸い込みながら、疲労の匂いが空気に満ちていくのを感じます。それでも、煙と汗の中で、私たちは小さな笑いを見つけるのです。
ほんの一瞬の笑いが、私たちがまだ生きていることを実感させるのです。火は私たちの顔、体を容赦なく熱くさせます。けれども、私たちの意志はそれよりも強いのです。焼き上げる一つひとつのパンには「抵抗」の意味が込められています。
こねた生地の一片一片には、どんなに世界が厳しくなっても、私たちはここに踏み留まりたいという願いがあります。

あの日、パンを焼くことはただの家事ではありませんでした。それは静かな「抵抗」でもありました。そして絶望そのものに立ち向かう闘いでした。それは、「私たちはまだここにいる。まだ諦めていない。まだ人間である」という宣言だったのです。

一日の終わりには、私は骨の髄まで疲れきっていました。それでも、心は穏やかでした。煙に炎に囲まれながらも、涙の中で、私は再び一日を乗り越えたのです。自分の手でつかみ取ったのは、一片の尊厳です。生き抜く味のしたパンでした。


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