その日はボランティアの活動の日で、心に残る忘れられない痛みを伴う日でした。その日、私はボランティアとしてではなく、言葉で表すことができない深い悲しみの目撃者でもあると感じました。つまり本来の人道的という言葉の意味を、そして困難に押し潰されそうな人々の生活にほんの少しでも変化をもたらすことの大切さを初めて心から理解したのです。
私は、避難所の一つに避難している家族に温かい食事を配るボランティアチームの一員でした。私は早朝に目を覚まし、心から「支援したい」という思いを胸に、苦しみを少しでも和らげることが出来るかもしれないという小さな希望を抱えて出発しました。同僚たちと避難所で合流すると、そこには疲労と静かな強さが入り混じった重い空気が漂っていました。私たちは共に、快適さではなく、忍耐が長く必要とされる場所へと向かいました。
私たちが到着すると、キャンプの人々は疲れた表情の中にも、心から笑顔で迎えてくれました。その笑顔は、生き延びていることへの感謝の祈りのように感じられました。言葉は、多くは交わされませんでしたが、彼らの目が言葉の代わりに語ってくれていました。「私たちのことをこうして忘れないで覚えていてくれる限り、私たちは大丈夫ですよ」と。その顔に、私は希望と疲労が入り混じったものが見えました。表情の中には、電気もきれいな水も心の安らぎもない果てしない日々が映し出されていました。
テントは、暑さと寒さでボロボロになり、地面は、まるで涙を吸い込んだかのように、湿っていました。あらゆる所で、子どもは擦り切れた毛布の上にじっと座り、女性はわずかな材料から必死に食事を作ろうとし、男性は家族に食べさせるため、日雇いの仕事を探して街を駆け回っていました。狭い空間の中で、人々は毎日、ひと口のパンのために戦っています。そのパンは手に入るかどうかも分からず、手に入るかもしれないという一片の希望を持ち続けているのでした。
しかし、その日はそれまでの日常とは違っていました。温かい食事の配給を始まると、子どもたちは喜びながら裸足で駆け寄り、笑い声が響き渡りました。彼らにとってこの食事は単なる一食の食事以上のものでした。これは穏やかな一日への約束であり、日常生活を取り戻せた一瞬の味だったと思います。一皿のご飯と鶏肉は、ただの栄養ではなく、まるで優しい声で語りかけてくるようでした「あなたのことは忘れられてはいませんよ」と。その一食一食には、心の温もりと深い愛情が宿り、たとえ世界がどんなに暗く冷たく見えても、人を思いやる優しさはまだ確かに息づいているのだという希望が込められていました。
夕暮れ時にキャンプを後にしたとき、私の心はとても暗くなりました。私たちの活動は十分ではないことが分かっていたからです。それは始まりに過ぎないのですが、「支援する」ということが食べ物を手渡すことだけで終わるものではないことに気づきました。それは、私たちが挑戦し続け、彼らの声となり、彼らのこの現実を伝え続けると決めたときから支援が始まるのです。
このボランティアの日、私たちは単に食事を提供しただけではなく希望を分かち合ったのです。このキャンプが教えてくれたように、どんな状況でも生き続けることを選んだ時に、希望とは決して最後まで手放さないものなのです。
