2025年9月4日(木)

私は意味があると思えるボランティア活動の場へと向かっていました。それは避難を強いられた人々に温かい食事を提供する活動でした。私たちは心をひとつにしてチームをつくり、この人道的な使命を果たすために、心を込めて準備をしました。この活動がどれほど過酷で大変なものになるかは分かっていました。そこには私の心を満たす深い意味があり、私はこの活動が大好きです。人々の人生を変える一端を担えることが私にはとても嬉しかったのです。彼らの苦しみを分かち合い、ほんの少しでも、彼らの心に幸せの種を撒く手助けができていると感じ、それに喜びを感じたのです。

シェルターに到着して、その中に入ると、そこにいた方々が温かく迎えてくれました。「あなたに会えて安心だし、とてもうれしいです。」と微笑みながら言ってくれました。その言葉に私の努力が報われたと思い、とてもうれしくて、自然と笑みがこぼれました。
私は仲間たちと座り、仕事の計画や準備を進めていました。するとその時、誰かがコーヒーを一杯差し出してくれました。その心遣いに驚きと感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。たとえ困難や厳しい状況の中で、人間の尊厳さえ脅かされている生活を送っていても、私たちの心には今も相手を思いやり、道徳心が無くなっていないと感じました。

その小さな心遣いは、私にとってとても意味のあるメッセージとなりました。多くの困難な経験してきた人々が、それでもなお自らの信念と価値観をしっかりと守り続けているということは、とても素晴らしいことだと思います。思いやるということは、単なる行為ではなく、どのような状況であっても私たちパレスチナ人に根付いている本質そのものではないかと、改めて感じたのです。

その日は、私の人生で最も幸せな日の一つとなりました。食べ物を配っただけではなく、子どもたちが食事を受け取ったときの瞳に喜びが映っていたからです。彼らの笑い声や話し声がその場いっぱいに響きわたり、日々の苦しみが忘れられるようなひとときでした。その瞬間に、私たちがしていることは、単なる一時的な支援ではなく、希望のメッセージを伝えることだと気がつきました。彼らの顔に浮かぶ一つひとつの笑顔こそが、私たちにとって前へ進む力を与えてくれたのです。

その日、私は「与える」ということは、物を提供するだけではなく、「与える」心を通して、人々に寄り添う思いやりの精神にこそあるのだとわかりました。希望は、いつも最も小さな瞬間から芽生えるのです。


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