2025年9月1日(月)

私の心にとってこの日は、最も重苦しく何も信じることも受け入れることもできない日でした。私の心を引き裂くような、とても耐えがたい知らせが届いた日でした。
それは、私のいとこが殺されたという知らせでした。けれども彼は、ただのいとこではありません。彼は私の兄弟であり、友であり、人生の伴侶のような存在でした。私の心が沈むとき、彼はいつも寄り添ってくれました。彼は、私たちみんなに優しく接してくれた人でした――亡くなったいとこの氏名は、ビラールです。

ビラールは、私の人生の中でただの名前でも、数字に表される人でもありませんでした。彼は「優しさ」と「与えること」の象徴であり、素晴らしい精神の持ち主でした。
彼は朝早くに起きて人道支援の仕事に向かい、家族に日々の糧をもたらしていました。
ビラールは単なる青年ではなく、心も精神も既に立派な大人でした。責任という重荷を背負い、家族の生活を支えるために懸命に働いていたのです。

あの日、暗闇に包まれたあの日、ビラールは残酷なイスラエル軍の銃弾によって命を奪われました。情けも、憐れみも全くない人たちにです。イスラエル軍の兵士は、ひとりの青年を殺したのです。しかし同時に、私たちの心も、私たちの夢も奪い取ったのです。
ビラールは家の中でいつも明るい青年でした。いつも私達を笑わせてくれて希望の光をもたらしてくれる青年でした。彼がもういないことなど考えられません。けれども今日、イスラエル軍は、彼の「存在」を「記憶」に変えてしまったのです。それでも私たちは、その記憶を永遠に大切に持ち続けます。

ビラールは、救急救命のために病院に運ばれました。しかし、その銃弾はあまりにも残酷で戻ることのない旅へと連れ去ってしまったのです。
その瞬間から、時のすべてが止まりました。私たちは泣き、叫び、声を上げ、そして彼の喪失に悲鳴を上げたのです。私たちは彼の母と父にこの訃報を知らせたのですが、両親たちは傷心のため、悲嘆に耐えきれず、ただ泣き叫ぶことでしかその衝撃を受け止めることができませんでした――その日、両親にとっては、最初の子であり、最愛の息子を失ったのです。
その息子は、その日、天の最も高いところへと昇っていきました。

私の目は涙であふれ、心は、彼を喪失したことで悲しみが一杯になりました。毎日大切な人を失っていくというこの現状にもう耐えることができませんでした。ビラールは、22年前に殺されたビラールの名を受け継いだのです。今日、2人のビラールは天上で再会していると思います…しかし、私たちは今もなお彼らを失った痛みに嘆き苦しみんでいます。私たちの心は、彼らを喪失したことへの無力感と共に生き続けていくのです。

ビラールの死は、単なる出来事ではありません。それは私たちの心に刻まれた深い傷であり、イスラエル軍が毎日残す痛みの物語に、新たな章が加わったということです。この深い悲しみの中にあっても、彼の記憶は私たちの心に生き続け、ビラールという名は、永遠に残る献身と勇気、そして尊厳の象徴として存在するでしょう。


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