忘れることのできない一日となりました。ご存じのとおり父は病に侵され、がんを患っていましたが、その日はどんな心にも耐えがたいほど厳しいものでした。突然、父は何の前触れもなく容体を崩し、動くことも歩くこともできなくなりました。その痛みは声なき叫びのようにテントいっぱいに広がり、重く、言葉にできない不安と悲しみで一杯になりました。父のうめき声が響くたびに、私の心は引き裂かれるようでした。その一つひとつの叫びが、まるで私の体の細胞すべてに痛みを感じさせ、時が進むごとに私の無力感は、一層と強くなるばかりでした。
父は、徐々に体をむしばむがんの痛みに耐えられなくなっていました。国境は閉ざされ、治療のために国外へ行くこともできず、痛みを和らげる薬も無く、日々はただ終わりのない苦しみだけに変わり果て、まるで私たちは出口のない痛みに閉じ込められているかのようでした。周りのすべてがむなしく思え、テントは四方から暗闇に包まれ、厳しい孤立感が私たちの絶望をさらに深めていきました
私たちは必死に救急車を呼びました。心臓は不安で激しく鼓動して、せめて父の苦しみの一部を和らげてくれる奇跡が起こることだけを願っていました。不安と涙に満ちた長い待ち時間の後、ようやく救急車が到着しました。父はストレッチャーに乗せられ、私は限りない悲しみに泣き崩れました。心が砕け散るようで、世界そのものが私たちの苦しみを理解できないように感じました。痛みの声と涙が重なり、父の震えている手が私の手を握りました。私は父を支えながら、救急車へ一歩ずつ向かうたびに、私の無力感はますます深まっていきました。
病院へ向かう道すがら、周りのすべてが暗闇に包まれているように感じました。
まるで戦闘や長い夜が、私たちの生活から光や安心を奪ってしまったようでした。父の顔を見ていると、一本一本のしわは痛みで刻まれ、私の心にも同じ様に痛みを感じました。そして私のために無理に浮かべる父の笑顔に返って私は、悲しくなり涙が溢れるのでした。この苦しみを世界がわかってくれないことに、私は、胸が張り裂けそうになりました。一瞬一瞬が長く感じられ、救急車が揺れるたびに、父への不安は増すばかりでした。
ようやく病院にたどり着きました。そこは張り詰めた静けさに包まれ、他の患者さん達や忙しく動き回る医療スタッフがいましたが、すでに父の痛みを和らげる時は過ぎ去ってしまったようでした。私は父のそばに座り、父が聞こえているかどうかわからないのですが声を出して、「お父さん、ここに一緒にいるからね。絶対に離れないから。私がそばにいる間は、お父さんをこれ以上悪くしないからね。」と父の涙と自分の涙を拭きながら、今私にできる言葉で精いっぱい声に出して話しかけました。
その瞬間、父の体の痛みが、私の心と魂にまで押し寄せてくるのを感じました。
戦闘という状況の中で、安全や希望が確保されずに、この深刻な病気に向き合い、私は完全に無力感を感じるのでした。一瞬一瞬、息をするのも苦しく、涙と不安で息が詰まり、終わりのない苦しみに閉じ込められている感覚が強くなっていきました。そして、何よりも私が願ったのは、薬が手に入り、ほんの一瞬でも安らぎを感じられ、父がその日を生き延びることできることでした。父がこんなにも苦しむ姿を見ることは、私にとって毎日がまるで地獄で、テントの暗闇の中で、痛みの絶え間ない叫びを聞くことで、私の心は静かに悲鳴をあげていました。
