2025年7月6日(日)

朝、汗でびっしょりになって目を覚ました。体は蒸し暑さと湿気でべたつき、だるく、テントの隅々まで息苦しい空気に包まれていました。まだ夜の余韻が残っていて、木がきしむ音や、布の小さな穴から吹き込む風の音は、もう平穏な暮らしではなく、毎日が生き延びるための新しい闘いであることを感じさせるのでした。小さなベッドに腰を下ろすと、朝が始まる前からもうすでに体は疲れ果てていて、お腹が空き過ぎて痛いくらいです。

今日もきっと、また大変な一日になると感じました。小麦粉もなく、パンもなく、食べ物を買おうとすれば、値段が高くむちで打たれているように私たちを苦しめるのです。狭いテントの中には荷物が散らかっていて、その様子が今の私たちの生活の厳しさを反映していると思います。胸の奥が苦しくなり、思わず「どうして私たちばっかりなの?どうして毎日、飢えと貧しさにおびえながら生きていかなければならないの?どうして、この苦しみは終わらないの?」と心の中でつぶやきました。

涙がゆっくりと頬を伝い、疲れきった私の顔を濡らしました。大切なもの、当たり前にあったすべてを失った苦しみが、一つひとつ胸に迫ってきます。苦しみに満ちた沈黙、飢えが体の中で叫ぶ沈黙など、テントの中はこのような沈黙に包まれていました。まるで、自分自身が深い悲しみと絶望の底に沈んでいくのを、遠くから見ているかのように長い時間動かずに私はじっと座っていました。

絶望の中でしばらく落ち込んでいたのですが、私は一つの箱の中に、古くて固いパンの半分を見つけました。何日も前からあったと思うのですが、飢えという海の真っ只中にいる私にとって、それを得ることはまるで命綱をつかむ思いでした。震える手でパンを握りしめると、固いのに、不思議と胸の奥に小さな温かさが広がったように感じたのです。それでも噛むのは容易ではなかったので、どんなに疲れていてももう一度このパンを食べられるように、火で温めて食べられるようにしようと思ったのです。

パンを火のそばに置き、少しずつ柔らかくなるのを見守りました。火で熱を通すことで、まるで生き延びようとしている私の命の闘いを火そのものが理解してくれているかのように感じました。ひと口ずつゆっくり噛みしめると、パンとともに口の中に人生の苦さが広がり、静かに流した涙の一つひとつ、心をかすめた恐怖の瞬間、世界に対して無力さを感じたときの思い出が、すべて胸に蘇りました。

その瞬間、固くて半分しかないパンでさえ、ただの食べ物ではなく、生きることの象徴であり、私の心がまだ鼓動している証であり、どんな困難の中でも私の強い意志が折れていない証拠だと気づきました。体の疲れ、空っぽの胃、汗や煙の匂い、迫る太陽の熱、そしてまたやってくる夜の暗闇と不安、そうしたすべての苦しみを、私は胸に感じました。それでも、たったひと口の固いパンを食することで、飢えと苦しみ、毎日私たちが耐えている痛みにも負けずに、生きることを諦めないで、しっかりと命をつかもうとしていたのでした。


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