2025年6月26日(木)

今日は、今までで一番忘れられない日になると思います。まるで闇の中に光が差し込むように私の心に強く焼きついています。私は、汗、びっしょりで目を覚ましテントの息苦しさは、暑さと湿気の両方でした。息を吸うと重く、まるで肺に火を運ぶかのように感じました。私のそばには、じっと横たわっている小さい弟や妹がいますが、顔は紙のように青白く、小さな手で絶え間なく寄ってくるハエを追い払っています。こうしたことは珍しくありません。私たちは飢えと暑さの中で目覚めることに慣れてしまいました。どうしても慣れないのは、心の中で大きくなる無力感です。心の中で声が聞こえるのです。「あなたはパンひと切れすら、彼らに持っていくことができない」と。

パンのないまま、一か月が過ぎました。レンズ豆を一粒ずつ数え、ほんの少しの米を分けて食べました。私たちに出来ることは、忍耐することと祈ることだけです。市場の値上がりがすごく、小麦粉は夢のようで手が出ません。温かいパンの香を夢見ながら夜は、眠りにつき、朝になると、お腹を空かせた現実に引き戻される日々なのです。

その朝、私がそんなことを考えていると、父が小さな袋を手にしてテントに入ってきました。一瞬、自分の目を疑いました。「小麦粉だ!」と思わず声をあげました。まるで天から奇跡が降ってきたかのように思いました。父の顔には疲れの跡が深く刻まれ、額からは汗が流れていましたが、誇らしそうに笑っていました。何時間も市場を歩き回り、値切りながら探し続け、ついに一か月ぶりにこの宝物を持ち帰ってきてくれたのです。

この日が突然、ごちそうの日に変わりました。私たちは小麦粉の袋を金のように思いその周りに集まりました。母と私はすぐにパンを焼こうと決めました。わずかに残っていた水で手を洗い、生地をこね始めました。指がうれしさで震えていました。母の手が強く生地を押すたびに、その中に小さな祈りを込めているように感じました。私は、自分の手で命そのものをこねているように、夢を形にしているような気持ちにもなりました。

それから一番大変なことが待っているのです。それは、火をおこすことです。上からは太陽が私たちを照りつけ、下からは炎の熱で焼けるようです。汗をぬぐおうと袖で顔をふいても、また川のように流れてきます。それでも私たちはやめませんでした。この私たちを苦しめる火こそが、長い飢えの後にパンとしての食料を与えてくれる火だからです。

私たちは生地を熱い鍋の上に置きました。ひとつ焼き上がるたびに、香ばしいにおいが広がり、胸がどきどきしました。弟や妹たちはそばに立って、目を輝かせながら、まるでパンの香りを飲み込むかのように深く息をしていました。父は震える手で最初のパンを取り上げ、まるで自分の魂からの贈り物のように、それに口づけしてから私たちに差し出しました。

ひとつひとつのパンが、新しい命のように思えました。パンはそっとささやくように話しかけてくれました――「あなたはまだこうしているでしょ。…そして立っているでしょ」と。ひと口ひと口に感謝を込めて、この小さなごちそうがあっという間に終わってしまわないようにと心配しながら私たちはゆっくりと食べました。涙と笑顔が入り混じっていました。母は私たちを見つめ、その目はすべてを物語っていました。母としての心配、限りない愛、そして山のように揺るがない強さも感じたのです。

その日、私は、パンはただの食べ物ではないということに気づきました。パンは、飢えの中でも喜びは生まれ、戦闘が奪おうとする人間らしさを、ひとつのパンが取り戻してくれるというメーセージなのです。この戦闘が、私たちから最も基本的な人権である食べること、夢を見ること、人間らしく生きることを、夕方のニュースが知らせる数字のように扱われてしまうこの現実を、私はこの時実感しました。


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