2025年6月22日(日)

今朝、私はこれまでとは少し違う気持ちで目を覚ましました。今日はいつもと同じ一日にはならないのではと、そんな小さな予感を感じました。何か新しいことが待っているような感覚があり、テントを出る前から思わず笑みがこぼれていました。

ここ何ヶ月も、私は地面に座ってお皿を洗っています。焼けつく太陽の下で、外の熱気で温かい水に手を入れながら、顔が赤くなる前には、仕事を終えようと必死でした。腰はいつも屈んでいるのでいつも痛く、手のひらは、熱い地面の影響でいつもひりひりしています。でも他の選択肢は無く仕方ないと、今日まで思っていました。

疲れていると思うのですがいつも優しい父が、私の苦労を少しでも楽にしようと考えてくれたのです。空のガスボンベを運び大切なものを組み立てるように丁寧に並べていくのを見たのです。その上に古いけれど頑丈な木の板を載せて、しっかりと固定したのです。父にとっては、私の仕事を少しでも楽にするために簡単な作業台を作ったと思っているかもしれませんが、私にとってはそれ以上のものです。大切な贈り物なのです。

作業を終えた父は、穏やかな笑顔で「これが、これからのサバラの調理台だよ」と話しました。その瞬間私はとても特別なものを手に入れたように感じました。もう地面に座ったり、お皿を埃にさらしたり、石の上にバランスよく置く必要はないのです。これからは、焼け付くような暑さや腰痛に耐えることなく、きれいな皿を置ける場所ができたのです。

私はその新しい台の前に立ち、まるで高価な家具を眺めるように見とれていました。実際にはただのガスボンベとその上に置いた木の板にすぎません。しかし、それでも私の目には、今まで見たどのようなテーブルよりも美しく見えました。お皿を一枚ずつその上に並べていくたびに、まるで自分の夢の家のレンガを積み重ねているように感じました。

心の中の仮想の景色が変わっていきました。布のテントにいるのではなく、白く光る壁のある本物の台所にいるかのように感じられました。棚には、必要なものが全て揃っていて、コンロの上で美味しそうな匂いを漂わせながらお鍋がグツグツ煮えていました。私は、棚の間を歩きながらお皿を片付け、背景には家族の声が響いていました。それは、ほんの短い夢のような時間でしたが、長い間忘れていたかのような心の安らぎを与えてくれました。

その時、気づいたことは、本当の幸せは、高価なものや大きなものから生まれるのではないことです。時には、一日の負担を軽くし、心を和ませてくれる小さなできごとの中にあるということです。父の作ってくれた調理台は、単なる台ではないのです。それは。「貧しく、物が無い中で、戦闘が行われている中においても人生を少しでも快適にして、楽しくする瞬間を創ることができる」という心温まるメッセージでした。

その日、お皿をその台に並べながら、まるで本物の台所を手に入れたように感じました。失われた「普通の生活の一部」がたとえ想像の中だけでも戻ってきたように思えたのです。


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