2025年6月20日(金)

この日の早朝、太陽がまだ地平線の向こうから少し顔をのぞかせた頃に、私は仕事に向かいました。夜明け時のひんやりとした空気が残っていましたが、やがて夏の強い暑さが少しずつ忍び寄ってくるのです。いつもの道を歩きながら道沿いに並んでいるテントを通り過ぎました。何千人もの人々が、わずかに残った自分の家の跡で身を寄せているのです。一つひとつのテントには辛い物語があり、わずかな食べ物を得るために毎日、必死に闘っているのです。

人々の顔には、疲れが刻まれ、目には深い悲しみと疲労が滲んでいました。その様子から、人生の厳しさに押しつぶされそうになっていることが分かりました。それでも人々は大きな絶望の中でも微かな希望を忘れないようにしているのです。一歩一歩、歩みを進めていると、貧困、困窮、苦痛の跡が見られます。言葉を交わさなくても悲しげな表情や、うなだれた姿から、はっきりと現実が語られていました。

その時、忘れられない光景を目にして、思わず私の心蔵は止まった様に感じました。道端には、ところどころ破れた古いぼろぼろのテントがあり、その真向かいの道路には、ピカピカの最新型のジープが止まっていました。その車は、まるで別世界からきた物の様でした。テントと新品のジープ。このあまりにも大きな対比にとても心が動かされました。「それぞれの本来のあるべき姿ではない」がそこにあることを痛感したのです。

かつての力や贅沢、そして自由の象徴だったジープは、今では人々と同じ様にその場に閉じ込められているのです。この封鎖されている地域では燃料が極端に不足していて、ジープはもう動くことができず、車の持ち主をどこへも連れて行くことができないのです。その車を見ながら、私は持ち主のことを想像しました。きっとその人は、かつては安定した暮らしをしていて、今は誰もが失なってしまった恵まれていた日々を送っていたのかもしれません。しかし戦闘による飢えと悲劇は、誰ひとりとして例外を認めません。今、ガザを覆っている飢えは、貧富の差に関係なく、全ての人を襲っているのです。

それは、「お金には、価値がない」という厳しい現実を突きつけられたようでした。

かつての日常品は、飢えや貧困、そして絶望の重みに押しつぶされ、灰のように消えていってしまったのです。小麦粉は手に入りにくく、食べ物も限られ、人々の暮らしは生き延びるための終わりない闘いとなっています。そこには、高齢者、若者、裕福な人、貧しい人など何の違いも有りません。

その瞬間、私は怒りと絶望の波に飲み込まれたように感じました。私たちはこんなに非人道的な状況に追いやられ、毎日死と向き合わせられ、子どもたちが犠牲者として死に追い込まれ、夫を失った妻は涙にくれる姿を見せ、老人たちを戦闘で疲れ果てさせ、若者から命と未来を奪い、基本的な人権さえも取り上げられている状況に、世界がそのようにさせていることを心の中で激しく呪いました。

その場を離れながら、胸の奥に重たいものが沈み込みました。テントとジープの光景が頭から離れませんでした。その光景は今のガザの現実を象徴する悲しい印の様でした。お金も最新の車も命を救うことはできず、日常品も飢えや抑圧から守ってはくれません。布でできた小さなテント、戦闘という長く苦しい闇の中で消えないよう、必死に守り続けているのは微かな希望だけなのです。

ガザで生きることの苦しみは、家や持ち物を失う事だけではなく、安全や人間としての尊厳、人間らしさまでも奪われてしまう事だと、気づきました。それでも私たちは、どのような苦しみにも耐えて、前に進めるような小さな希望を持ち続けます。その希望があるからこそ、私たちは戦い続け、涙の中でもより良い明日を夢見続けることができるのです。


投稿日

カテゴリー:

投稿者: