2025年6月18日(水)

私は、テントの中で座っていました。容赦ない暑さで全身が汗でびしょ濡れになり、空気は重く息苦しく、薄い布の壁がまるで胸を押し付けてくるように感じました。

太陽は空高くにあり、その焼け付く陽ざしがテントの小さな隙間から容赦なく差し込むのです。まるで密閉されたオーブンの中に閉じ込められているような気分でした。疲れ切っていたのですが、テントの中を片付けることにしたのです。この耐えがたい暑さの中での片付けは、とても大変なのですが、既に私の日課になっています。暑さや埃、そして狭い空間の中で終わりの無い闘いの様です。

私は一日のほとんどの時間をテントで過ごします。それは好きだからではなく、そうせざるを得ないからです。この難民キャンプで女性は、ヒジャブをかぶり、外に座ることが許されず、どのような状況でも室内に留まらなければならないのです。こうした状況の中で、女性は、二重の苦しみが強いられるのです。厳しい現実に、そして社会のしきたりにも閉じ込められているのです。

このテントという布の牢獄の中で少しでも安らぎを求めようとしていた時に、父が帰ってきました。その手には何と今ではとても貴重な宝物のように感じる、さやいんげんの束を持っていたのです。市場では限られた品物で、きっと値段も高かったと思うのですが、買ってきてくれたのです。そして私に手渡すときに「今日はこれを調理しよう。いつもと違う味が楽しめるかもしれないね」と言ったのです。

そのさやいんげんを切り始めました。汗が顔や服に伝い落ちる中で、手は動き続けました。

料理の準備をしながら、記憶が洪水のように押し寄せてきて、戦闘前の台所のことを思い出しました。大きな木のテーブル、料理の香が漂い、食卓を囲んだ兄弟たちの楽しそうな話し声など。しかし、それらはどこに行ってしまったのでしょうか。かつての私たちを一つにして守ってくれた家は、今はどこにあるのでしょうか。どうして私は、こんな小さなテント生活の中で、しかも人間としての尊厳が全く喪失されているところで人生が終わろうとしているのでしょうか。

さやいんげんを切りながら、涙と汗が混ざり合って胸が苦しみで一杯になり、息が詰まりそうになりました。私は、もう普通の生活が出来ないかと思い泣きました。基本的な人権さえありません。プライバシーや安心する居場所も無く、快適さなど何もありません。

灼熱の暑さの中、風も無く日陰も無くテントで暮らすことを強いられています。四方八方から聞こえてくる声、話声に囲まれ、自分一人になれる場所など全くないのです。

その時、怒りと悲しみそして切ない思いが入り混じり、戦闘が始まってから失ったものすべてが一気に押し寄せてきました。かつてはただの普通のメニューであったさやいんげんの料理さえ今では特別のものとなりました。昔の私たちがしてきたことを思い、現在の自分たちがどれほど小さくなってしまったのかを感じさせられるのでした。

戦闘はただの家を奪うだけではないことに、その日気づきました。人生に意味をもたらす小さな日常の一つひとつが奪われていくのです。台所や食卓などの好きだった場所さえも、恐れや制約なしで座れる木陰でさえも奪われたのです。残されたのは、息がつまるこのテントの布です。過去の思い出にしがみ付こうとすればするほど辛さが増すだけなのです。


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