2025年6月15日(日)

今日は、この夏ではもっとも厳しい一日でした。

太陽は地上の全てを焼き尽くそうとしているかのように照り付けていました。

空気は、動かず、重たい感じでただ熱と埃を運んでくるだけです。

この現実の中で、「料理をする」というのは、簡単なことではないのです。

冷蔵庫をあけて材料を運ぶことも、ボタン一つで火がコンロにつくことなどありえないのです。ここでの調理は、過酷な労働になってしまいました。

火をつける前から始まり、最後に味気のない料理の味見の一口まで終わりません。

私は、テントの中で汗びっしょりになりながら眠れなくて目がさめました。心の中にまた重荷を感じたのです。

それは、また今日も料理をしなければならないということです。

ガスも電気も無いこの環境で、残された手段は木を燃やすことだけです。

私は乾いている枝を探しに歩き周り、見つけたものをかき集めました。

手で木の枝を折りながら、なんとか燃やせそうな枝を揃えるのでした。

指は疲れて震え始めます。そして顔は汗とほこりまみれになるのです。

何度も何度も試行錯誤して、ようやく火をつけることが出来ました。

でも、その前から手にはこの熱で痛みを感じ、目と喉は煙でひりひりと焼けてしまうのです。

空からの燃えるような灼熱の太陽、目の前の強い日差し、

私は、その間で四方八方から焦がされているように感じました。

でも、私は、手を止めませんでした。

諦めるという選択肢は、私には、無いからです。

私たちは、ごくごく簡単な食事の準備を始めました。

あまりにも簡素で、もはやそれは、「食事」と呼べるものではないように思います。

ここでは、食事が持つ本来の意味は全くないのです。

味もなく、香りもなく、楽しさなどは全くありません。

もう何週間も玉ねぎですら使っていません。

香辛料、調味料など風味を引き立てるものも何一つありません。

私達が調理をするのは、空腹でおなかが鳴らないようにするためのものなので、

料理を楽しんだり、味わうものではないのです。

更に悪いことに、パンも小麦粉も無いのです。

パンさえ焼くことが出来ないのです。

かつては当たり前のようにしていた食事の習慣。

心を落ち着けるひと時も、今では手の届かない夢になってしまいました。

そして私は心身にその影響を受けて、変化を感じるようになっています。

日に日に力が抜けていき、立っているだけでもふらつくことがあります。

栄養不足が私の体を確実に蝕み始めていることを、ゆっくりと感じるのです。

テントの中にかけてある小さな鏡に映る自分の顔が、自分のものとは思えないことがあります。

これは、単なる空腹を示すものではなく、無言の屈辱を受けていることだと思います。

私たちは、辛さをこらえて生きているのです。

ほんの一口の食べ物で足りているふりをしているのですが、心の中では全く足りないとわかっています。

体にも心にもそれは十分ではないのです。

これがガザの生活なのです。

私たちは、爆弾と戦うように飢えとも戦うのです。

私たちは、この喪失感と向きあうように、空腹やむなしさとも戦っているのです。

何もない中で調理をして、味気の無い料理を食べながら、

戦闘と貧しさ、そして自分の国の中で追われている避難生活の現実の苦しみの中で、

疲れ切った心に小さな命の炎を、何とか灯し続けようと一生懸命なのです。

私たちは、抵抗し続けるのです。

料理をするためにまた火をつけます。

そして食事をします。

心の中で泣きながらも、明日もまた同じことを繰り返すのです。

私たちは、静かにひっそりと死ぬことを拒否します。

どんなに辛くても、私たちは、まだ生きる価値があると信じているからです。


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