
その日の夕方、テントの中で長時間にわたり、むせ返るような暑さに耐えて、家族のために何かをしたいと思いました。ほんの少しでも喜びを感じるように、また私たちの毎日の苦悩からも少しでも離れるようなささやかな楽しみを持つことを決めました。
「戦時のスナック」と呼ばれている物を作ることにしたのです。
ナッツやローストされたおやつは、もう市場からすっかり姿を消してしまいました。イスラエル軍が検問所を閉鎖し、ガザへの物資の搬入を封じて以来、ほんの少しの贅沢でさえ夢のような存在になってしまったのです。かつて私たちにささやかな幸せをもたらしてくれた、ごく当たり前の物ですら、今では手の届かない物となりました。
それは、単に料理を作るという事だけではなく、平常心を少しでも取り戻すことにより、この平和な一時をみんなと分かち合いたいと思いました。
私はまず、ひよこ豆をぬるま湯に五時間つけることから始めました。豆を浸しているあいだに、私は薪を探しに出かけました。木の枝を折るたびに手が痛み、火をつけることはまるで戦いのようでした。
やっと火がついたので、小さな鍋に油を少し注ぎ、熱くなるのを待ちました。
それから、ひよこ豆を鍋に入れました。ジュウッという音が立ち上がると、不思議な安心感を、感じました。まるで、苦しみの中からそっと立ち上る優しいメロディのように聞こえました。
カリッと黄金色に揚がったひよこ豆を油から取り出し、塩と、一握りのスパイスをふりかけました。すると、それはまるで、かつてお店で買っていたローストスナックのようでした——お店がまだ普通に開いていた頃、国境がまだ「命を脅かす壁」ではなかった頃の話です。
これが、今の私たちの暮らしです。
何もないところから、何かをつくり出します。
喜びを生み出します。
かつての思い出をまねて、生きています。
私たちは必死に、つかの間の平和の瞬間を探しています。
生きていることを思い出させてくれる何かを探しているのです。
かつては、数シェケルで買えたささやかなごちそうも、今は、自分たちで作るものになりました。忍耐と努力と願いを込めて作ります。
でも深い悲しみを同時に感じるのです。
こんなにシンプルな物なのに、手に入れることが出来ないのです。
ちょっとしたおやつを選んだり、慣れ親しんでいる味を味わったりするような、人生の中でささやかな楽しみさえ否定されているのです。
どれだけの物を私たちは、失ってしまったのでしょうか。
この封鎖によってどれほどの時間が奪われたことでしょうか。
どれほどの多くの夢が、花開く前にしおれてしまったことでしょうか。
それでも私たちは、努力します。
この「戦時スナック」というただの揚げたひよこ豆にすぎないのですが、少しのスパイスと沢山の希望を添えて今の辛い時を少しでも明るくしようとしているのです。