
大惨事が起きた日です。
想像もしていませんでした。最悪の悪夢のような日の中でも最も悪い日でした。
その日に私たちは、強制避難を強いられたのです。私たちの想いを残して、これから知らない世界へ歩まなければならいのです。
その夜は、頭上の空は真っ赤に燃えているようでした。一瞬たりとも砲撃は止むことがなく、爆発音は、地面、壁、私たちの心までも大きく揺さぶりました。
先の見えない砲撃と恐ろしい爆風に血まみれの夜を過ごして、自分たちは生き延びるためにも、ここを脱出してどこかに行くことを、父は決断したのです。
家を離れてどこかに行くことは、単なる決断ではありません。本当に辛いものです。慣れ親しんでいたものを根こそぎ奪い取られ、思い出も消され、心までもが奪われてしまう事なのです。
私は、自分の部屋に行き、誰かに別れを告げるかのように、「さようなら」と部屋に話しかけました。
壁に囲まれた単なる部屋ではなく、私の世界そのものです。
本、鏡、涙にぬれた枕、母の香、笑い、悲しみ、思い出など全てを自分の心の中にしまっておこうと思いました。
でも出来ませんでした。
小さなバックを2つしかもっていくことが出来ないので、全ての物を入れることは出来ません。もちろん家を持っていくことなどできるわけがありません。
私は堪えられなくなって、その場を逃げるように出ました。まるで自分の一部を置き去りにしたかのようでした。
人生で最悪の日でした。
私はこれで、二回目の強制避難となって、家を離れるのです。
イスラエル軍の最初の侵攻で私たちの家は襲撃され、破壊され、数か月ぶりに戻ってきたばかりでした。
その家を私たちは、修理してきたのです。
私たちは、疲れた手で家を再建し、自分たちの夢と共に心を込めて家を飾り、いのちを吹き込もうと懸命に働きました。
そして今日、また再建した家を再び、放棄せざるを得ないのです。
私たちの悲しみ、喜び、笑声が染みついている部屋を、また私たちは残して去らなければならないのです。
母のパンを焼く匂い、そして父の祈りの声、兄弟の笑声、私たちの生活のあらゆる声や思い出を置いていきます。
喜び、悲しみ、ラマダンの夜、静かな涙、そして思い出のすべてを置いてここから離れます。
溢れる涙の中で、お隣の大切な人たちに別れを告げました。
彼らの顔の表情は私たちと同じ苦悩を映し出していました。傷つき、疲労、悲しみの全てが私たちと同じだからです。
私たちは失うことに慣れてしまって、今では、失われたものが、昔から当たり前の様に無かったものとして感じてしまうようになりました。
一瞬の望みを託して束の間の再会を果たした後、またこうして大切な隣人と別れるのは耐え難く、辛いことでした。
一緒になっても、またこうして離散していくのは私たちの運命の様な気がします。
しかし、悲劇は家を出て終わりではないのです。
問題はまだあるのです。私たちはどこへ行けばいいのでしょうか?
テントのある所へ、ですが・・・
小さい布切れのテントは命はおろか、私たちの悲しみを包みこむことさえできないのです。
私たちの愛情と石で建てた家が、どうやってテントで代わることができるのでしょか。
プライバシーも温かさも、安全性も守られないのに。
かつて使っていたベッドや私の夢を見守ってくれた屋根を夢見ながら、風と埃にさらされて眠るのです。
強制避難は、残酷そのものです。
これは、ある意味、戦闘により死ぬのとは異なる死の形です。ニュースの見出しにこそ出ませんが死の形です。このような生活を経験した人たちだけがこの感覚をわかると思います。
それは、自分の空間、思い出、温もりから引き離され、未知の世界に放りだされる感覚です。
自分が築き上げてきたもの全てが、目の前で崩れ去り、それを止める術はないのです。
私には、何もないと感じました
家も部屋も無く、辛さに耐えられない時に癒される場所は無いのです。
私が持っている物は、バックとテントと消えゆく記憶であり、私の未来は、その中身は無く、約束もされていないのです。
これは戦闘の悲惨さを表していることではありません。このような状態を傍観している者としての”世界”による、私たちへの仕打ちのように思えます。