2025年6月2日(月)

大げさではなく、この日は私にとって最悪の日となりました

この日、イスラエル軍は私たちの住んでいる地域を「危険戦闘地域」と宣言したのです。それは短い一言ではありますが、その言葉は、これまで悪夢の中の最悪な状況を何とか生き抜いてきた私たちから安心を奪い、それを消し去るには十分な言葉でした。

私たちは本当にショックでした。粉々に砕け散った壁、壊れた窓、隅々に至る死臭と埃にも関わらず、私たちはここに留まりたいと思っていました。疲れ果てた身体と心でこの家を蘇らせようと懸命でした。壊れた梁に希望のかけらを託していたのです。小さな緑の鉢植えを用意したり、敷物を敷いたりして、ここが自分たちの家になるのかもしれない」と自分自身にささやいて住んでいました。

そして突然、「すぐに避難しなさい」と言われたのです。

でも、どうやって、どこへ行けばいいの?

根こそぎ奪われ私たちは、またこうして移動させられるのです、新しいこの土地に根付いていないうちに、、、

イスラエル軍からの攻撃は、私たちはある意味慣れてしまっているのです。しかし避難するということは、ある場所から別の場所へ移動するだけではないのです。それによって、心が引き割かれ、思い出からも引き剝がされるのです。避難するということは、新聞の見出しなどに出るような身体の死ではなく、それ以上の死を意味するのです。

私達、全員が家を出る準備をはじめました。手は震え、心臓の鼓動が大きくなりました。出来る限りの物を集めて荷造りをしなければなりません。私たちの今までの人生をほんの少しのバックにつめることは本当にむずかしいのです。荷造りをしていたら自然と涙がこみ上げてきました。自分の部屋に入っていき、何を持って逃げなければならないかと迷いました。部屋の全部を持って行きたいのですが、本、香水、枕、祖母の写真を選びましたが、それ以上は難しくてできませんでした。

自分の人生をバック一つに納めなければならないのです。避難を強制されることには、感情に流される余裕は、全くないのです。

私たちは荷造りした荷物にまとめて、出発の準備を待っていました。しかしその日は避難をしませんでした。

その理由は、行先がまだわからないからです。

そして避難先で使うテントが無かったからです。

皆さんは、行き先も分からず、テントの様に必要な物を持たずに、家を離れ、避難を強制されることが、どんな気持ちか想像できますか?

私たちは、その場しのぎの「家」を探すしかありません。ようやく700ドルのテントを見つけました。ただの布切れですが、私たちの現状では、命そのものと同じくらい大切な物なのです。

テントは買ったのですが、またそこから苦しみがそこから始まりました。避難先の「人道安全地帯」というエリアは完全に過密状態で、私たちが生活するための一寸の隙もありませんでした。人々は路上で、歩道で、側溝でも瓦礫に囲まれて厳しい現実の中でも眠っているのでした。

その夜、私たちは眠りませんでした。静かに座り、荷物を足元に置いて、これから経験したことのないような世界が待っているのです。そしてお互いが弱い気持ちにならないように、涙をこらえていました。私たちは、もう二度と見ることができないかもしれないと思いながら、これから去ろうとしている家の天井を見上げました。

これが私たちの歴史なのです。

私たちは、このように1度、2度、10度と何度も居場所を奪わてしまう民族なのです。静かに涙し、毎回、ゼロからのスタートから始めるのです。


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