私の仕事場からの帰り道、悲しみと疲労で、足取りも重く歩いていると、遠くの方で風船を売っている青年を見つけました。風船は悲しみに抗うかのようにとても目立つ鮮やかな色をしていました。その瞬間、私は子どもの時代に戻ったような気がしたのです。振り返ってみると、私たちの子ども時代は、最初の一発目のミサイルが落ちて、その恐怖の夜から奪われました。
私は、すぐに2つの風船を買いました。私は、この2つの風船を大切に宝物の様に持ち帰りました。その風船が不思議なことに私の心に命を吹き込んでくれたように感じたのです。明るい色彩が、現実の悪夢を追い払い、目が覚めた時にこの風船を見れば、このような状況下で笑顔になれない時でも自然と笑みがこぼれるようにと願って、風船をベットの横に置きました。
それは、ささやかな私の喜びとなり、私の心がこんなに落ち着くとは思いませんでした。
その日に隣の家の小さい女の子が、恥ずかしそうにためらいながらやってきました。そしてかわいい声で「風船を持っているのを見たんだけど、私も欲しいなぁ。」と話しかけてきました。
私は彼女の目をしっかり見ました。そして感じたことは、彼女の年齢にはそぐわない、問題を何か抱えているのではないかと思いました。
彼女は風船をただ欲しいだけではなく、夢に向かって進んでいきたい様にも見えました。
私は、笑顔で「もちろん、あげるわよ」と言いました。
彼女は小さな手で風船を空の一部のように握りしめて、痛々しく無邪気に私に語りました。
「戦闘が始まってから、こんなにうれしい気持ちになったのは、、初めてなの」と。
彼女の言葉は、私の胸に突き刺さりました。風船はただのおもちゃではなかったのです。
それは、彼女の命が延びることにつながり、毎日、あっていいはずの喜びでもあるのです。
しかし、その全てがこの戦闘の時に時代に失われたのです。
ガザでは風船を持つことは願い事の一つであり、チョコレートを食べることは夢のまた夢で、鮮やかなきれいな色を見ることは本当に珍しい事なのです。子どもたちの夢は、もはや自転車やお菓子ではなく、水とパンと安全で安心な生活をおくる事なのです。遊ぶこと、笑う事、泣く事、学校に行く事など基本的な権利が奪われているのです。
彼女は小さな肩に戦争とそこから来る悲しみ重荷を背負って、あまりにも早く大人になることを強いられているのです。
現在のガザにおいて子ども時代とは、もはや年齢とは関係なく、子どもの時に与えらえるものがなく、子どもとして生きることが奪われているのです。
あの日の風船は、ただの贈り物ではないと思います。
その風船は、彼女と私に希望を伝えてくれたのです。
死が近づいていたとしても、私たちは生きることを求めています。
たとえ一つの風船しかなくて、灰に覆われた土地しかなくとも、喜びの種を植えようとしているのです。
