ラマダン5日目
戦闘、悲しみ、この状況の重圧の中で、この日は本当に長く疲労困憊の一日となりました。そして心の底から願うことは、このサイクルから逃れたい、離れたいという事でした。イフタールの後、少しの平穏な時を見つけたいと思い友人を訪ねることを決めました。私の心は、彼女の声、笑声、そして私の人生がもっとシンプルで優しかった時代を思い出すことが出来るのではないかと思ったからです。
彼女の家に着いたのは、8時ごろでした。まるでその瞬間をずっと待っていたかのように私たちは、抱き合って喜び、笑いました。まるで私たちの世界の暗い壁に、一筋の光が走ったようでした。
チョコレートや飲み物、私たちが大好きなお菓子などを、買いに行こうと彼女からのアイデアで、子供の様にわくわくしながら出かけました。
店は少なく、通りには人はほとんどいませんでしたが、心の中はとても幸せでした。
手にはバックを持ち、心には夢を抱いていました。
彼女の家に戻って、昔の様にコーヒーを淹れて、たわいもない話しをしました。学生時代の思い出、初めて涙が出るほど笑ったこと、かつて私たちがはっきりと描いた夢のことなど話しました。そのうちのいくつかは、この厳しい現実に耐え兼ね実現できないことも分かち合いました。
しかしその夜に、私たちの想いを少し見直しています。大声で笑い、子どもようにお菓子を食べて、顔だけではなく心を映した思い出写真を撮りました。そしてその一枚の裏に書き込みました。「私たちは、こうして廃墟からでも生きています。これはとても貴重な瞬間なのです。」
しばらくの間、私は、ドローンの音を忘れることが出来、恐怖の臭い、いつもある胸の痛みも忘れることが出来ました。自分の存在、友情、そしてこうして喜びを感じられることを、心から感謝したのでした。
あの日のことは決して忘れないでしょう。単純なことなのに何か月も長い間かけて積み重ねてきた以上の意味があったと思います。人生にはまだ可能性があること、廃墟の中でもお花を咲かせることが出来るのです。たった一晩でも咲くのです。
