ラマダン月(断食月)の初日。私たちは心を込めて準備をする月となります。買い物に出かけ、家、通りをきれいに飾り、喜びの中でラマダンを準備します。
今年のラマダンは、違います。
今年は、お祝いでは無く、飾りつけをすることも無く、買い物もしない1ヶ月が過ぎました。失ったことの大きな喪失感、戦闘の痛みを感じながら、静かにこの日がやってきたのです。
私は、ラマダンが大好きです。マグリブ(注)の祈りの後、同じテーブルに座って断食を終えるのです。でも今年は、私達家族が全員揃っていませんでした。いとこたちは、殺されていなくなり、食卓で皆が揃わないことは、家族に祝福が得られなかったように感じるのです。
ラマダンの時は、いつも祖母が中心にいました。しかしこの戦闘中に、恐怖から心臓発作が原因で最近、亡くなったことで、全てが変わってしまいました。
今日、通りを歩いていたら、ある物が目に飛び込んできました。それはラマダンのランタンの一つがぶらさがっていたのです。私は、うれしくて何とも言えない喜びを感じ思わず立ち止まりました。
悲しみ、破壊、喪失感にも関わらず、私たちの心の中にはまだ何かが強く生き残っているのです。そして喜びを見つけることが出来るのです。どんなに過酷な状況でもはっきりと悲しみを拒絶して、幸せを生み出そうとすることです。あの小さなランタンからこうしたメッセージをもらったと思いました。
私たちはまだここで生きています。そして希望は、私たちの周りにもあるのです。
この悲しい日に、そして辛い思い出の中で、私は何とか笑顔を作りました。
(注)マグリブ 日没後の礼拝
