
残っていた勉強を終わらせるためにカフェに向かっています。
カフェに行くことは贅沢ではありません。でも大学の日課としていることでもないのですが、私は、戦闘の瓦礫の下に埋もれたくないのです。これからの私の人生を大切に、自分の夢をしっかりと持ち続けるためにも、敢て、カフェに行く行動をとり続けているのです。
自宅では停電、インターネットの停止など、忍耐を強いられるのは、日常茶飯事です。そしてこの厳しい生活は否応なしにやって来るのです。
私たちは、もはや基本的に必要な物が無くても当たりまえになってしまいました。世界との繋がりは遮断され、また安全保障などもありません。
私は瓦礫と危険のある道を、ある時はとても暑い太陽の下、またある時は冬の冷たい雨にさらされながら、少女が集まる小さなカフェを目指して長い道のりを歩いていきます。。
カフェが私たちの避難所の様になっているのです。私たちは夢を忘れずに語り、自分たちの願いを確認するためにそこに集うのです。
リュックサックにいれて運んできた物は、本だけではありません。疲労感、心配事、そして自分の強い意志も一緒に運んでいます。
破壊された家々、ひび割れた壁に詰まっている思い出、埃の臭い、この光景は身近に起きている現実を目の当たりにしたものです。子どもたちは瓦礫の中で、まるで廃墟を生きる子どもの時代の一部として自然に受け入れて遊んでいるように見えました。
しかし子どもたちの目には悲しみが映っていました、同時にきらきら輝くいのちも見えました。そして小さな光がさして、ささやくように「私たちは、まだ、こうして生きています。」と聞こてくるようでした。
少し遅くに、私は、やっとカフェに着きました。
カフェは静かで、一時的な平穏を感じました。真の平穏ではないのですが、ゆったりと気持ちよく、息を整えるには十分でした。
少女たちは、カフェの一角に座りパソコンを開き、突然の接続が遮断されることに悪戦苦闘しながらの自分のノートを見直していました。そして一杯のコーヒーがこのイライラを落ち着かせてくれるのでした。私は、いつもの場所の一角に座りました。そして、残っている勉強にとりかかりました。
私が心から願うことは、自分自身を見つめ直し、自分の考えをまとめ、大学時代に描いた夢をしっかりと持ち続け、その夢に向かって生きようとすることでした。
その夢は願いというより、もう日々の闘いの様になっていました。その日は、普段とは少し何かが違っているように感じたのです。
私の心にはかなりの重圧を感じていました。それは、勉強に関しての圧力でなく人生に関係しての重圧です。また、この様に戦闘下の中で夢を持ち、破壊の中で勉強をしなければならない厳しい環境からくる重圧だと思います。
私たちは夢を見て未来のために懸命に生きようとしているのですが、現在の占領下の中では、常に押しつぶされている現状です。
私は、カフェにいる少女たちの顔を見渡してみました。そして考えてみました。例えば、私たちの中で、どれだけの人が夢の実現を、遅らせているのだろうか。どれだけの人が家を失い、家族を失い、友人を失ったのだろうか。今晩、どれだけの人が、無事に帰れるか分からないまま、勉強しているのだろうか、と。
私たちは、勉強し、書き続け、夢を見続けます。戦闘や沈黙などによって死にたくありません。
その日、勉強がもはや単なる学務上の義務ではなく、現実にこの状況に抵抗するためにあるのだと気付きました。言葉、会話、知識で、私たちは抵抗するのです。
試験に毎回合格しても、世界が私達に夢を諦めさせようとしても、決して私たちは諦めません。