2025年2月21日(金)

雨が降ってきたのですが、喜びをもたらす雨とはなりませんでした。とても強く降り悲しみの雨となりました。まるで雲も私たちと共に嘆いて、これからを案じて空が泣いているかのようにみえました。

私にとって、今日はとても辛い一日でした。今までにないくらいの苦しみの重さを感じました。私の大切な人たち、ガザの人たちが疲れ果て、悲しみに包まれている様子を見たからです。戦闘で建物だけではなく、私たちの心にもこうして深く傷跡を残しているのです。

戦闘は私たちの心をすっかり傷つけました。決してたやすく癒されることはないと思います。私たちの、人生、そして心にこの傷はしっかりと刻まれたのです。

でも、私たちは毎日、悲しみや絶望の無い日々を一日でも多く過ごそうと努力しているのですが、今日は、違います。今日は、全然、強くなれませんでした。平気なそ振りも出来ませんでした。ガザの人たちの苦しみを目の当たりにして、私は深い悲しみで一杯になりました。

通りにテントが沢山並んでいるのを見ました。道端にあるテントの生活では、プライバシー等なく、平穏に実生活が送れないのが現実です。喧騒の中、プライバシーも無く、ほんの少しの快適さなどもない生活を強いられている人々なのです。

私は、あまりの無力感でテントの前に立ち尽くしました。暖かさも安全も確保してあげることが何も出来ない私。彼らたちが持っている尊厳も守ってあげることが出来ない私です。私は、そこに立ち尽くし、心の痛みから涙が止めどなく流れました。

爆撃が一瞬静かになっても、戦闘は私たちの日常の中で続いているので今も、私たちは困難な状況にいるのです。涙が雨と入れ替わるように流れるのです。それは、無力感の涙、悲しみの涙、傷心の涙なのです。

この光景が日常になってしまったので、一時的に休戦となっても心の痛みは消えないのです。

私たちは、戦闘の中をただ生き抜いているわけではないのです。私たちの心にある思い出を大切にその余韻の中で生きているのです。

すべてのテントの中いる人たち、疲れきった人たち、生き残るために必死に戦っている全ての人の心の悲しみの中でも、希望を忘れずに持ち続け生きようとしているのです。

明日が少しでも楽になるように、小さな信念の種を心に撒くのでした。何故なら私たちは、多くのことに耐え忍び、それでもなお立ち続けるのです。たとえ何千回も打ち砕かれたとしても決して倒れることはないのです。


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